ことばのジャンプ
30年ほど前でしょうか。
NHK「さだまさし音楽工房」という番組のお話。
作詞作曲講座で生徒は男女1名ずつ。
私もテキストを買って曲作りを一緒にしていたのですが、
そのテキストに「ことばのジャンプ」という言葉が目に飛び込んできました。
確かこんな詩が書いてあったと思います。
決心
朝目が覚めたら
部屋に花が咲いていた
そこに君が立っていて
僕は決心をした
たった4行の詩がそこにはありました。
そこには無限の物語が広がっていました。
どんな花なんだろう?
植木鉢なのか、花束なのか、窓の外のマロニエの木かもしれない
君ってだれだろう?
家族なのか?恋人なのか?先生や看護師さん?お見舞いに来てくれた友達?
どんな決心をしたのかな?
必ず病気を治すという決心?
この人と結婚するんだという決心?
物語の可能性
言葉のジャンプというのは、「読み手との対話」を生むもの。
語りすぎても野暮。
語らな過ぎてもわからない。
「セレンデイ」もちょうど良い感じの「ジャンプ」を生みだせるといいなぁ。
今日も、「セレンデイ」に来てくれてありがとうございます。