サバイディ!
セレンデイで学生記者をやっているしーたかと申します!
みなさんは「西田ひろたか」さんはご存じでしょうか?
西田さんは、学生ながら4月の名古屋市議選挙の昭和区に出馬された方です!

今回は、西田さんのどういった想いで出馬されたのか、また活動の根源などについてのインタビュー記事となっています。
ぜひ最後まで見ていってほしいです!
(編集部注)
※この記事は8月に取材した記事を再編集したものです。
選挙について
選挙はお疲れさまでした!
選挙を振り返って有権者に想いを伝えることはできたと思いますか?
また何か手ごたえは感じましたか?
伝わったからこそ1401票も獲得できたと思います。
1401人が僕の考えに賛同してくれました。その想いを市政に反映できなかったのは残念でしたが、それだけ想いに共感してくれた人はいたと振り返って思います。
実際にそういった声は聞きましたか?
若い世代の政策しか打ち出してませんでしたが、中高年や年配の方からも応援をしていただき、「もっと若い人に投資せなあかんよな」とった声も聞きました。
日本の競争力が低下しているのは若者に投資していないからということを多くの世代が認知していたからこそ1401票も獲得できたと思っています。
当初は200票しか獲得できないという声もありましたが、、、
それは周りが勝手に予想しただけで自分は4000票を獲得して勝利する予定でした(笑)
今回は落選という形になりましたが、期日前投票の出口調査では減税日本に勝っていたそうです。期日前投票は若者や40、50代がしがちなのでその層には想いが伝わったのかなと思っています。
1401票も獲得できたことや多くの世代が若者への支援に共感してくれたことに対して手ごたえを感じていたそうです。
次は西田さんの活動の根源やこれまでどういった半生を過ごしてきたのかについて聞きたいと思います!

西田さんの半生について
次は西田さんの人となりについて聞きたいです。
西田さんの政策は社会に対する不満や怒りを感じますが、それの背景はありますか?
2つの大学に通ったことが背景になっていると思います。
最初に入学した昭和大学は医療系大学だったのでお金持ちが多かったですが、現在通っている中京大学と比べると明らかに生活水準が異なっていました。
よくよく調べると、奨学金貸与の割合は愛知県は5人に1人ですが、昭和大学といった医療系大学では奨学金を貸与する人はほとんどおらず、話題にもなっていない状況でした。金銭的に苦しい学生はそもそも給付型奨学金を受け取るのが当たり前、そういった環境でした。一方で中京大学ではみんな貸与型奨学金を受け取っていました。
それって普通におかしくないですか?
社会に出た時に若い世代は400万、500万円の借金を持ってスタートする。「そこはおかしい、だから日本の成長力も陰るよね」と思い始めたところがきっかけとなっています。
この問題自体、20年前から言われていました。それは現在では顕著になってきています。このことは、自分のような2つの大学を通った人でないと気が付かないと思います。
奨学金を借りている時に「それが普通じゃん」と思う層と「奨学金なんて借りないじゃん」と思う層があったらそこの層が交わることはないです。
お互いがその状況を普通だと思ってしまいますが、それは問題なんだと自覚してほしいと思いますね。
確かにその通りですね、、、
ちなみに西田さんの経歴を見ると中学高校とラサールに通われていたそうですが、なぜそこに通われたんですか?
医者になりたくて中高一貫校のラサールに行きました。
あと親に「家を出て行け」と言われたのもありますね(笑)名古屋は保守的で入ってきたものはあまり受け付けない土地柄です。そんな場所に居続けたらちっぽけな人間になると親は思ったそうで、そうなってほしくないから「愛知県を出ろ」と言われました。
ラサールでの学校生活はどうでしたか?
意外と楽しかったです。
門限があって、スマホが使えない不自由な環境でしたが、逆に「不自由な中で楽しさを見つけていく楽しさ」がありました。当時スマホが流行り人々は使い始めましたが、私はその代わり人と会話をしていました。会話するかマンガ読むか勉強するか部活行くかの4択で会話せざるを得ない環境でした。会話をする力は身に付いたと思います。
小学校の頃はしゃべることや友達付き合いは得意でなかったですが、ラサールでの6年間で対人スキルは身に着いたのかなと思います。
2つの大学に通ったからこそ見えてくる社会問題に対して疑問を感じ、今の政治活動に至るそうです。
またラサールでの生活から培ったコミュニケーション能力が今に生きているのかなと感じます。
次は西田さんの最近のことや聞きにくいことについて尋ねます!